五月の空と風は
二年間どうしても処分できずに二階に置きっぱなしにしていたものがある
実家から引き取った両親の歴史が収められたアルバムだ
すべて点検し選びだした写真の約7割をCDRに年代ごとに分けて保存した
その作業が終わっても簡単に手放すことはできなかった
ページの合間に書きこまれたメモ書きや
旅行先でのしおりや割り箸の入っていた袋等々
見れば見るほど貴重で大切なものに思えてくる
データとは全く違ったものがその中にあることを知っているからこそ
二年の歳月が経ってしまったということだろう
あまりにも決心がつかないもだから思い切って荷造り紐でしばった
『迷いに迷った末の決断だから』『データに残したから』『がさばるから』
自分にあれこれ言い分けしてみても罪悪感は消えてくれない
とうとう決断したことはいいけれどその重さはとても一人では無理
Kちゃんの仕事の休みを利用して手伝ってもらうことにした
盛岡市の郊外にある施設に車で運び手続きを済ませてもらい搬入
私はただ後部座席に凍りついたまま顔を覆い「許してください」と泣くだけで
結局アルバムの最後を見届ける勇気はなかった
また私の罪がひとつ増えたような気がした
それでもどうしてもこれだけはというものを数冊残した
その中にある一枚
アウトドア派(当時はそんな言葉はないはず)だった父の大学時代の青春の図
中学生だった私が始めてこの写真を目にした時
父としてしか見ていなかった自分の意識が変わったのを憶えている
同時にこの人の血が自分自身に確実に受け継がれているのだと確信もした
そしてつい最近デスクトップの背景にした写真
そう・・・二人はいつもこの笑顔で私を見守ってくれている
あのどっしりとしたアルバム以上の思い出が
私の心の中にみずみずしく生きていることを再確認できた
波立った心がやっと穏やかになろうとしている
アルバムのページの中に21年前に書いた私の詩を見つけた
郊外の山に一緒に花見に出かけた数日後両親に送ったものに違いなかった
過去の私との再会そして蘇る当時の光景
この詩に曲をつけようと決めた