utashyaのブログ

明暗の日々を駆け抜ける

ジャガイモ瞑想局

「例えば・・・スーパーで安売りしている箱入りのジャガイモの

最後の売れ残りの一個にだけには絶対になるのはよそうぜ・・・とかそういう感じ」

知人が会話の中で漏らしたこの言葉がなぜかいつまでも頭から離れず

その言葉の持つ意味を何日も何日もずっと考え続けていた

 

子供の頃みかん一個食べるのに相当な時間を費やした

房の数だけ剥いた皮をお皿に見たて大きさの順番に横一列に並べる

おとうさんおかあさんおじいさんおばあさん兄弟姉妹

小指ほどのものは赤ちゃんというように

そして全体を見渡してからさて・・・どれから食べようかと品定めする

まるでみかん一家の運命を一手に握っているかのような心持ちで

結局最終的にはすべて食べてしまうのはわかってはいるのだけれど

それは私の冬の恒例行事でありスリリングなひと時であった

最後に残るのはいつも赤ちゃんと決まっていて

その小さな一房をパクッと口に入れたその瞬間ストーリーは幕を閉じた

みかんの最後の一個は私にとって劇的な一個だった

 

『最後のひと葉」という有名なお話

結末はすでに知っているはずなのに読むたびに心が震えた

 

かかりつけの病院の待合室でたまたま読んだ「葉っぱのフレディ」

その奥深さに胸を打たれ涙が止まらず周りの人に気付かれないかと焦った

帰り道さっそく本屋さんで同じ絵本を買った

 

私の名前は「詩」

若い頃から賢治作品の研究グループの一員でもあった亡き父が命名した

その名前に誘導されるかのように幼いころから詩を書いた

お話も作って書きためた 今も文章を綴ることが生きがいといってもいい

 

有名な賢治の作品「雨にもマケズ」の一節がふと浮かんできた

ミンナニデクノボウトヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイウモノニ

ワタシハナリタイ

その時渦巻いていた私の頭の中でその一節と

売れ残りの一個のジャガイモとがスッと結びついた

 

最後の一個とは時にどうしようもなく劣悪なものであるかもしれない

しかしまたそれは時に

とてつもなく意味のある一個にもなり得るかもしれない

 だから何?

こんなこと何日もかけて考えることではないとわかってはいたけれど

長い長い迷路からやっと抜けられそうな気がしてきた

ならば今後

売れ残りの最後の一個のジャガイモを私は進んで買うというのか?

いやたぶん買わない・・・相当の確立で買わないだろう

 

ああ・・・結局さっぱり訳がわからない

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㊟知人の発言を非難しているものでは決してありません