utashyaのブログ

明暗の日々を駆け抜ける

〒盛岡市字陸前高田

ジャズと一緒の散歩から帰ってくると留守電が入っていた

それは陸前高田に住むKさんからのものだった

『今開運橋のジョーニーに来ています。時間があったら来てください』

行きます!行きますとも!

Kさんは夫が新聞社の高田支局にいた頃の飲み仲間の一人だった

f:id:utashya:20070826145554j:plain

もちろん当時の集会場所は大町のジャズ喫茶ジョニー

実は私自身は直接お会いしたことがなかったのだけれど

震災後高田でライブをしたのをきっかけに連絡を取り合うようになった

偶然にも夫とKさんの名前がまったく同じだということにも親しみが持てた

 

Kさんとの再開も久しぶりなら開運橋のジョニーに行くのも

マスターに会うのも久しぶりだったがお互い共通する話題でうち解けあった

4年間もの間仮設住宅に暮らしていたKさんが今年中にやっと

市営住宅への転居が決まったこと それが何より喜ばしいニュースだった

オーディオをガンガン鳴らして楽しむのが趣味のKさん 

ご近所に遠慮してずっとヘッドホンで視聴していたそうなのだが

長年の希望を叶えるためにあえて4階の角部屋を選んだという

今までの分思う存分楽しんでもらいたい

 

私達にとっては当たり前のことが現地では今も尚そうでないことが山積みだ

そろそろ仮設住宅もすべてなくなるのかとおもいきや 

いろいろな事情でまだ移転先が見つからない人達がおられ 

仮設が統合されるたびに移動を余儀なくされているということも聞かされた

 

中央自治と地方自治の感覚の隔たりはなかなか埋まらない

それどころか年を経るほどその溝は深くなっていくように思えてならない

オリンピックのマラソン競技のコース道路を熱中症対策のために考案された

特殊構造の道路に一新されるというニュースを見て唖然としたのは最近のこと

被災地の予算には期限や制限が事細かく設けられる一方で世界レベルのこととなると

膨大な消費さえあっさりと証認されてしまうこの理不尽さはいったい・・・

最近の日本のあり方にますます疑問が膨らむ

 

気仙町を拠点に船大工の仕事をずっと続けてきたKさんは

被災で家も大切な道具もすべて流された

それでも被災後はあちこちで船の修復作業に駆け回ったという

しかし職業上の理由もあって膝の調子が悪くここしばらく

仕事はストップしたままだという

 

帰りのバス時間に合わせてバスの始発場所まで車で送ることにした

杖を使ってゆっくりゆっくり歩くKさんは夫と同じ歳

夫が健在だったらもっと有意義な話しができたはずなのに・・・

駐車場までの距離がとても長く辛く感じた

車から降りる時「ありがとう!」と手を振るKさんに

健康と再会を祈りつつ何度も手を振り返した

f:id:utashya:20070826142006j:plain

f:id:utashya:20070826144744j:plain

f:id:utashya:20070826121452j:plain

*写真は2007年に撮影されたものです