生域
午前11時 やすらぎの丘は雨模様。さりとて叩きつけるような勢いはなくコンクリートの地面が薄っすら湿る程度。
生と死を明確に意識させられるこの場所では人々の所作も会話もどこかぎこちなく、皮張りの一人用の肘掛椅子に座る私の手首や足首は硬直したように動かないままだ。
館内に流れるアナウンスに促され出席者の焼香が始まる。途方もない距離感が襲ってくるのは祭壇の亡き骸と遺影に向い手を合わせるこの一瞬だ。
死は生の一部である 死は生の延長線上にある。
身近な人のまた人達の死を経験してから、その言葉を最近やっと受け入れられるようになった気がしている。残された自分の時間を計るすべはないけれど、せめて自分らしく過ごしていきたいという思いが湧いてくる。