メ・論
亡き父は新聞社を退職後ボランティアで広報の指導に長年携わりました
来る者は拒まずの精神で始めた取り組みはやがて全国各地に広がり
いつしか「村上学校」という名の元に門下生は100人余りになりました
秋田由利本庄のTさんもその一人です。
全国広報協会から特別功労賞を受賞することが決まった時
「俺はそんなものはいらない」と最後まで意思を曲げなかった父
仕方なく代理を務めたのもTさんでした。
今も現役で活躍されいて先頃全国広報コンクール組み写真の部で
見事読売新聞社賞を受賞したばかりです。
容赦ない喝が飛ぶ父の指導にもめげず何度も実家にまで足を運んでは
熱心に指導を仰いでいる姿は私の記憶にも鮮明に残っています
そんなTさんから旬の味覚が届きました
父が亡くなった後その破天荒な性格が徐々に自分に忍び寄ってきた感
Tさんはそんな父と私が重なるのかもしれません
ただし いくらなんでもあれほどではないと思ってはいるのですが
さて・・・いかがなものか
はい お父様 メロンでございます